地球は人間が生きる事にかなり適しているけど、人間の作った人間社会は人間が修行することに適してるっぽい

ども、たけけんです。
地球は人間が生きる事にかなり適しているけど、人間の作った人間社会は人間が修行することに適してるっぽい。という変なテーマです。
というのも一般的に人間が感じているものって、外界から入ってきた波を第五感やらなんやらで受け取って、脳を流れている電気信号からあたかもその世界にいるように感じているわけですが、色々と考慮すると絶妙な配分のなかで生きることができてるんですよね。

光からは可視光線という電磁波の波長範囲の振動を色として認識して、後頭葉にイメージされるものを見ていたり、音波からは20Hz~20kHzの周波数の範囲を認識していると言われてて、昔に流行った若者だけ聴きとれるモスキート音ってご存知か分かりませんけど加齢とともに聴きとれる高音域が下がってしまいますがそれはさておき。
電磁波にしろ音波にしろ、危険だー!ってものに対しては危険だー!とちゃんと体が反応しますし、美しい物や物事、音楽とかに感情を揺さぶられたりして生きてます。
ここだけシンプルに見ると、自然の中で人間はすっごい生きやすいように作られているように感じます。
人間にとって必要なものが揃ってる感じですな。

一方、人間が作った人間社会は必ずしも全ての人が生きやすいものではないはずです。ハンデがある人が生きにくいのも人間がつくった社会がそう出来ていないからだし。
世界有数の大富豪の家に産まれたとしても、生きやすいのかどうかって、どうなんでしょうね。イージーモードで産まれて来た人がわざわざ自分から不幸に突っ込んでいくこともあるようだし。
すくなくとも生きやすいかどうかと、幸せかどうかは一致しないでしょう。

ふいに思ったことがあって、みんな修行しているんだと考えるとシンプルにはまったりします。
ここで言いたいのは、修行してるっていうとぴったりだろ?ってことではなくて、ほんの一つの側面として、修行していると考えるとぴったりハマるものがあるってことです。
何かしらの物事というのは最初は何もなくて、人間が観測して初めて何らかの情報が生まれる。というのをどこかで見たんですが(シュタインズゲートはこれを使った話?)
そんな感じで、物事には見た人の数だけの側面を持つと考えることもできるわけですが、生きやすくてたまらん!たまんねーよ!という人の方がおそらく少数に思います。
その少数の人たちも死ぬ直前まで生きやすいかどうかは分からないので、さらに減ります。

不思議ですよね。

最初に書いたように、人間は電気信号でもってあたかも実際の外界を見ているようであり、音波も内耳で電気信号に変換して、脳みそが知ってる音を何らかに変換したりしてます。
コンピュータサイエンスの人たちは、かみさまに挑戦しているんだって誰か言ってたような気がしますがまさにそんな感じですね。

人間がつくったものだから当たり前のように未完全であり、人間にとって必要なものであるとも言える気もするので、それゆえに愛しさも産まれてくるかもしれません。

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