さよなら、ありがと


1月から一緒に住むことになったガジュマル。品種名ガジュマル。観葉植物。突如現れた姪から「草がおる」と言われた彼だが、まあ草には違いないです。
彼との出会いも不思議なもので、観葉植物の知識などは皆無なぼくは店内をぐるりと一周してみて、なんとなくこれいいんじゃないのと感じたその時には名前すら知らない彼がそこ居た。
とは言え、まずは草花も生き物ゆえ、ぼくの家という場所で生き続けられるという条件をまずはクリアしないといけない訳です。

知識のカケラもないぼくはスタッフさんとこういう条件で生きられるのはどういったものかという質疑応答を交わしたのちに、「それでしたらこれっすねー」という指先にぴったりといらっしゃったのがまさしく彼なのでした。こんなこともあるんやなーと不思議な出会い。

毎日まじまじと見ていると彼らが生きているということを感じてやまないし、愛情も湧いてくるというもので。また不思議と木々や草花にも不思議と何かしらの感情も出てくるようで、いつの間にやらかに始めたひとり旅でも、その土地にある御神木と呼ばれている木々を見るのが楽しみになったりとか、じわじわ気付かないくらいのスピードで何かしらの変化ってのがあるようです。
御神木というと樹齢数百年、数千年というレベルでいらっしゃるらしく、もしかすると先祖どころか前世のぼくともお知り合いの可能性もあるわけで、その節はどうもなんて言われる日がくるのでしょうかね。

ある神社では御神木のところに小銭が数枚程度入るくらいのお賽銭箱が供えられており、その見た目の通り小銭は数枚しか入らないので、そのうち入りきらなくなればその上にだんだんと小銭が積み上げられていくのだけれど、よく見てみると積み上げ方がかなり危ういなあと思っていたところ、その時にお参りに来た方がやっぱりというかうっかりと小銭を地面に零されました。

丸いコインたちがシャリンシャリンと小気味の好い音を立てながらいろいろな方向に散っていく様というのは、なぜかぼけーっと見とれてしまいそうな感じになる。いや見とれている場合じゃないなと小銭を拾って拾って積んで積んで、また微妙に角度のある小銭タワーが出来上がりましたとさ。

考えてみると、たまにはそんな場面に出会うこともあるかもしれないね、と思うことすら滅多にない事ではないなと気付いた数ヶ月後のこと。その後にあった2回はまた全く別のところで、何れも半径2、3mで、2ヶ月間で3回も起こりまして。そんな短期間で何回も続けて居合わすと、ほんのわずか奇妙で不思議なものを感じたりして、けれども何かしら閃めくとかそんなような事もなく、またもやこんなこともあるんやなーとここ数ヶ月で何回聞いたやろうと感じるセリフを自分でも思ったりしたわけです。

どうも、こんなこともあるんやなーというのは時に自分を落ち着かせる言葉のようです。言霊とかそんな感じのなにかなのでしょうかとかなんとなくそう思ったり。
とは言えこのような不思議に繰り返す出来事があったとしても日々の生活で目立った影響はないように、そのまま記憶の片隅にそっ閉じされて時間というのが誰しもに常に流れ続けている訳ですけれど、思い返してみると、たまたま居合わせた見ず知らずの人たちが一緒になって助け合うという様は、それはそれはやさしさに包まれているなと感じる空間で、そんな空間に何度か遭遇していたようです。


虹を見ると幸運になるとか、縁起がいいとか、そんな風に言われているらしいです。太陽の光には目には見えないけれど7色の色も含まれていて、その光が空気中にある水滴に反射したとき、普段は見ることができない色鮮やかなアーチが映し出されているわけですが、いつもいつも光はなにかに反射したり吸収されたりして色とりどりのこの世界を作っているのです。すべてが自然現象な訳ですけれど、ぼくらはいつもその光に包まれながら過ごしていて、なにげなくさりげなく凝り固まった心をほぐしてくれていたりと何かと良いあんばいでこの世界中に存在しているようです。
普段は見えていない虹色の光のように、気付いていないやさしさというのは誰にとっても至るところに溢れていて、素直な心でいるとぼんやりと見えてくるかもしれないねー。なんて考えてみるとそれは確かにとても幸運なことやと思います。

去年のいつ頃からか大きな虹をよく見るようになった気がするのです。大きなというのがどれくらいかというと太さがビル1個分以上ほど。
いつ頃からかというそのあたりの日からカウントして今年に入ってからすでに大きいのを2回ほど見たから、おそらくおおよそ1年程度の期間で5、6回は大きい虹を見ていて小さいのも含めるともっとたくさんありそげなんです。今までの人生でこんなにも、というかこんなに何回も続けて見たことはないわけで、っていうかそもそもそんな大きい虹を見ることすらが滅多になかったことなので。それはもう、そのいつ頃から見た今までの間にいったい今までの何年分の虹を見たのやろうかという気持ち。と、もしかして地球に虹が出やすくなったのかねと思えるような不思議感となんだかよく分からない感じで。見ると幸運になるとか、それよりかはもう運がいいよねという解釈をした方がぴったりな気がします。


誰もが予想外だったらしい「新元号が令和になります」と発表のあった4月1日、ついには幸運の縁起物と言われているダブルレインボーというのに出会った。ダブルレインボーというのは、1本の虹が見れる条件に合わせてさらにいくつかの条件が重なったときに見る事ができるレアな虹で、条件が厳しいからなかなか見れないものだけれど、そもそも虹は2本でワンセットだったらしく、見れたのもびっくりでそれにもびっくりする。
幸運の縁起物!とまるで大御所登場と言わんばかりの雰囲気を醸し出してはいるのですけれど、知人に伝えてみた反応がかなり小さくて意外にも知られていないのかもしれません。たしかにレアなのだから知られていなくて当然かもね。と、自らを慰めながら思ったりしています。ところでいつのまにそんな単語を知ったのですかとたしかに自分にちょっと聞いてみたいところですが、そんなことは全く記憶になく、たぶん頭の片隅のどこかで僅かに残っていた名前だけがそれこそボーンと蘇ってきたのでしょう。

バスの乗客の「うわぁ、めっちゃきれい」という女性特有のツヤっとした声が聞こえて気付いたもので、白昼夢を見ていた訳ではないようです。
右側と左側の両方の窓からそれぞれのアーチの端が見えていて、このまままっすぐに走り続けることができたならば虹のアーチをくぐり抜けるような格好です。
可能ならばバスの屋根の上から写真を撮りたいという気持ちだけが気持ちになります。もちろん窓越しにスマホのカメラで撮りましたよ。

あとから調べてみると願いごとが叶うらしいじゃないと思った時はすでに遅しで、ダブルレインボーを見たときにはとくに何も願い事をしていないのです。
あー、いったい何が叶うのかは分からないけれど、何かは叶うよという大サービスがあればいいなあとか思いながら、うわぁ写真撮らなー!とか考えていたから、もしかするともう叶った後かもしれない。

ダブルレインボーについてどこかの言い伝えでは「卒業とこれから訪れることの祝福」という意味があるらしく。ダブルだけに2個なのかな。強いて言えばこれまでにさようなら、お世話になった方へありがとう。ちょうど新元号の発表の日でもあったし、新しい時代の祝福なんてとても縁起がいいじゃないですか。
兎にも角にも、これから新しい時代が始まるのだなぁというワクワク感と同時に、たぶんおそらく生まれて初めて見ているだろう不思議な2本の虹を見ているだけで自然と豊かな気持ちでほんわかほんわかします。

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