メルカトル図法


かつては「飛行機とか絶対に乗りたくない」「アメリカなんて絶対に行きたくない」とかなんとか定義されていた2つの絶対というぜんぜん絶対じゃなかった絶対を持っていた。今じゃ飛行機を見るたびに「ああ、飛びたい飛びたい。飛んでどこかに行きたい。」などと考えてしまっていたり、絶対ではなかった絶対と定義された条項は跡形もなく消え去ったのでした。

死を覚悟した人間に怖いものなどがあるのだろうか。なんて思ったものだけれど14時間のフライトで得たのはとんでもなく輝かしくて、忘れることができなくなったまばゆい光景だったのだった。

「いったいいつになったら到着するのやら」ヘッドレストに埋め込まれた液晶テレビに映し出されているメルカトル図法で示された世界地図と小さい飛行機は永遠と北極のあたりをうろうろしているように感じる。
トータルおよそ14時間のフライトのうち、10時間くらいは北極らへんにいるのではないかと思えてしまうくらいいつ見ても変化がない。

今じゃグーグルマップで一瞬のうちに地球を外側から見ることができるから、目の前で大きく弧を描いているフライトのコースは実際には最短距離という名の最短の航路を飛んでいるらしいということを知ることができるのだけれど、目の前にあるフライトマップを見るとどうしてもこのメルカトルな世界観に負けてしまうのか、「いつまでたってもここにおる。」という気持ちになってしまう。

なんとなく違和感のあるフライトマップはやっぱり現在位置にも違和感があるらしい。

見なければいいんだぜと何度も思うのだけれど、何故だか理由も不明瞭にふいに、ふいにというのが本当にふさわしい表現のように、ふいにまた見てしまう。そして見るたびに変わっていないメルカトルの中の小さい飛行機を見て再び消沈する。
映画を見てみたり音楽を聞いてみたりと気分転換を測ったりすることもできるけれど、見ることにも聞くことにも幽かに集中できる程度で、本を読むとかに至ってはそれはとんでもなく、時間が経つとまたあの画面を見てしまうメルカトル。

気分転換するといえば、飛行機に乗っているということはその瞬間は当然にぼくの肉体は空を飛んでいるわけで、今ぼくは空を飛んでいる!と認識すると不思議な違和感が出てきて、言葉ではなんとなく言い表せれないような何故かちょっぴり楽しい感覚になってくる。「あぁぼくは今空を飛んでいる。」と、こういう風に意識をすると気持ちいいものは気持ちいいのだよね。そら、まさに意識高い系。



昔々のソクラテスは、「なにか図形を書いてみて、例えば三角形を書いてみたりして、その三角形は本当の本当に正しい完璧な三角形に思えますか?とか問うてみて、いやこれはちゃんとした三角形じゃないよと言うのが分かるのはわたしたちは真の三角形を知っているからなのだよ。」というような教えを説いてたらしいのだけれど、考えて見るとメルカトルな図というのは時空が歪んでいる図なのだから、ぼくらは地球を外から見ると丸いのやでということを知っているのだから、メルカトルを目にした時にも「これはちゃんとした世界地図ではないのです」。ということを知っているからこそ、いつまでたっても北極のあたりにいるような気がしたり、違和感があったりするのでしょうか。

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