Can Go Anywhere


ああ、たぶんこの人はわたしと顔を合わせたくないのだろうなあと感じることが何度かあって、それは自由というものだから別に良いのだけれど、その場には会わないようにするということに協力する人というのも同時に存在して、で、それも自由だから別に良いのだけれど

その協力する人はきっと空気を読んでその協力をしているのだろうし、その場やその人がそれで楽しく過ごせるなら良いのだろうけれど、そうすることを選んだならこちらに向ける感情も今まで通りでお願いします。と思ってしまう。

悲しいものを向けられるとやっぱり悲しくなってしまう。
ただそれはまだ良い方で、協力することや息を合わせることに日本人は慣れているだろうから、その成分中にはやさしさも含まれているのだけれど、慣れていない人も世の中にはいるのだ。

と、以前はそういう考えに偏っていて、それらが敵のように思えて、その空気成分中のやさしさにも気付けなかったし、自分で自分が生きにくい世界を作ってしまう。加速度は増していくのだろうか。
絡み合った糸はゆっくりとしっかり見て解いていかないと余計に縺れてしまう。


いつもの自分というものに存在しない考え方や物事って意外なところにあったりして、以前、お昼にカレーばかりを食べ続けてみようと思ったことがあった。そうすると自分の世界というところに今まで存在していなかった色々なことに気付いたりすることがあったり、世の中にはこんな人も居るのかということを知ったり、また新しい発見もあった。

ふいにその慣れていない人の心の中にも答えがあるということに気付いたりして、夕立のあとの空のように、それ以上のスッキリとした感覚が心の中に現れてくる。

たしかに自分が思っているよりも世界はずっとやさしいのかもしれない。

Similar Posts:

    None Found


Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *