そらそうと、京都

都会というイメージがあって、それでいて空は広いものだからなんだか不思議なところ。という気がして仕方がなかった京都の街。
風景には寺院や神社が溶け込んでいてひとつになっている。都市の真ん中にどでかい公園があるニューヨークはマンハッタンのセントラルパークのように、歯車がぴったりハマっておりそれでいて良い塩梅のアンバランスさのような感覚のようなものも感じられるところもありあり、目に入ってくる刺激が心地よくて気持ちがいいね。

かつてはあいてぃーのイベントなんかでたまに京都に出かけることもあったりした。ただ京都に出かける日にはなぜか頭が痛くなった。偶然とはいえ何回も重なると京都といえば頭痛という。えーと、こういうのをなんと言うんだったかな。そうそうジンクス。そんなジンクスになる少しまえのジンクス(仮)みたいな状態になるのでした。
時間が経てば何かと変わるもので、いつしか趣味のようなものも変わって、あいてぃーが趣味というのもなにか可笑しいけれど、しばらくは京都に出かける機会も減っていき、そんなことも忘れてしまっていた頃からのとある時から、プチひとり旅みたいのを初めてみたりしたときに何か目的があればなあと考えていたところでちょうど世の中にご朱印帳なるものがあることを知って、またそのときに行こうと思っていたところが八坂神社でござったので、思い立ったがそちらでご朱印帳をいただいたのでした。

そんな流れもあって近くの神社を調べるとだいたい京都にたどり着くということもありあり、京都に行くことも増えつつありあり、けれども以前とは違って体調が悪くなることもなく空を楽しむこともできる余裕なんかも生まれてきたのでした。ああ良かった良かった。
ご朱印の方はというと、だいぶうっかりものでわりと高い確率で持っていくのを忘れてしまうのと、たまには神社以外も行きたいなと気まぐれを起こすのでぜんぜん溜まっていない。

そんなこんなで神社にはそこそこの回数を行ってるといっても鷹がしれているけれど、先日は東寺で行われている草場一壽さんの「陶彩画」というものが大変良いよという話を聞いたため京都は東寺へ行ってきたのでした。お寺には体が大きくなってからはまったく行かなくなっていたのですごい久しぶり感が溢れてくるのを感じてみたり。
久しぶり感もさることながら、やっぱり神社とは何かが違うねえとなんとなしに砂利が違う。ほんまかいなとか思っていて後で調べてみると、神社では玉砂利というのを敷いているらしくて、歩いている時の質感とか音が違っていたわけだ。あと、あの神社の中にいる時の体にスンとくる感じとはまた違う感じのスンとする感じがあって、これもまた語集力のなさには泣けてくるけれど、それは置いておいてそんなスンを感じながらお寺を歩いて楽しむ。

「陶彩画」というのは初めてみたけれど、どうにもじぃぃぃと魅入ってしまうもののようでして、どんなものかという説明が非常に難しいのだけれどまんだらというのを見ている時に心が感じるものと似ているような、なんかそんな気がする。自分の言うているまんだらは模様がゆらゆらしているだいたいは円状のもので、たとえば魂のかたちってもしも見れることが出来たならこんな感じなのかなあというイメージのような感じがするもの。「陶彩画」の方は神様や龍などなどなのですが、そのまわりに漂うオーラというのか大気というのか、なにかしらの色の出しかたというのかそれらの組み合わせ方というのか、草場さんの表現がともかくすごいのだね。

いくつか回ってみると、ここはスタッフの方がこれはこういうものでしてねと解説をしてくれるがちょっと感動。何かしらに参加したという訳ではなく質問をしたわけでもなく普通にじぃぃぃっと作品を見ていると色々と教えてくれるのです。なにより伝わってくるのが作品の説明よりも「わたし、この作品大好きなんですよ。ちょっと聞いてくださいっていうかお話させてください」という気持ちであり、なんというか、愛なのだろうか。聞いてるとどことなく緊張されているのかなという雰囲気も感じるけれど、それがさらに気持ちを強調しているのだろうか。羨ましいね。


スンスンと歩いていると、建物の風格というかなにかがすごくてちょっと見ておきたいなという衝動に駆られたりして、大人になってから出てくる感じのいろいろと見てみたくなる感じというのかな、これが意外と侮れなかったりする。子供の頃って思考したりとかでなくって本当に純粋に求めるものを求めて体が動く方が先という感覚だったような気がする。大人になるとそんな感覚が羨ましくもあるけれど、これはこれできっと良いこともあるはずだよね。

そんな子供の頃を話しの流れから書くとちょっと子供っぽさがあるかもしれないけれど、金堂というところに入ったときに、まじに心から「うわあ、寺院みたい」とか思ったというか感じたのだけれども、そりゃあ寺院なのだから寺院みたいというか寺院ですよと。まさか寺院に来て寺院みたいってって思ってしまうくらい雰囲気がすごいのだ。それぐらいのすごさなのだが、それが大人の感覚かよと自分に突っ込んでみたい。

最後に回ったところは観智院。ここはまた体に溢れてくる安心感のようなリラックス感がすごくて非常に落ち着く感じがしてまるで家にいるような気になってくるのでした。家賃とかものすごそうだけれどここに住みたいわあと思えるくらいの安心感。なんだろうねこれは。さすがに「うわあ、家みたい」とは思わなかったけれど。

そらそうと近頃どこに行きたいかなあとか考えていたときに、漠然と江戸時代に行きたいなあとなぜか思っていたりしたのだ。方法とかはさておきね。たまにそういうのあるじゃないですか。
調べてみるとこのあたりの建物って修繕されたのがだいたいその辺りの時代の建物みたいなのね。また偶然ではあるけれど夢が叶ったというか、江戸時代に行った訳ではないけれどもたぶん江戸時代のなにかが含まれているかもしれないなにかを感じられて自分の魂かなにも嬉しかったのかもしれないねえと思ったのでした。

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