寒くなってきたし怖くない話をしよう


なぜなのか

メディアの影響なのか教育によるものなのか、現代人にとっての霊の話というとほぼ怖い話らしく、詳しいことは知らないけれど、検索すると9割が怖い話やないかーいと。最近のマイブームであるYouTubeでいろいろな動画をみているうちにそんな疑念を持ってしまった。ただそうでなくいろいろな話を分け隔てなくされてる少数派も居るので、そんな少数派がこれから増えていかないかなあと思った次第。

そのわりにパワースポット巡りやスピリチュアルは流行るというのもなんとも言えないところだけど、本当はもっと混ぜ混ぜになってパワースポット巡りやスピリチュアルにも怖いことはあって、一方の霊の話では怖くないこともぜんぜんあるっていう風な話があるべきで、ちょっとバランスがおかしいのかもしれないですね。知らんけど。

不思議体験の話が入っているので怖がりな方はご注意ください。

疑問をもつということ

たとえば霊とかまったく信じていなくても、先祖を大切にしていたり、お世話になった人に感謝したりすることって遠くて近くて同じことじゃないかと思ったりしてます。

これからもしかすると生きてるか死んでるかの概念すらも今後のちに覆されるような大どんでん返しがあるかもしれないですし。
なんしか、ともかく言いたいことは根拠なく怖いと思う気持ちをちょっといったん踏みとどまってみてはどうかという感じです。
そんなこんなで、わたしも数少ない体験談をして少数派が増えていけばいいなと思った次第。数少ない上に良くある怪談話みたいなのと違って、本当に怖くない話でオチもないのだけど、その分、身近に感じれるのではないかなという期待も少しあったりします。

最近になってこの話をやたらと書きたくなったのも何かの縁かと思ったりしていて、前回のような感じの生死に関わってくるような話にもなってくると、やっぱり歳をとってきていろいろと感謝して生きないとと強く感じるようなったのと、しばらく前に視える方とお会いしたときに、色々助けられたりしてるのになんで感謝してないのと言われてしまって、あれ、もしかしてわたしって感謝してないって思われている?とちょっとビビってしまっているのもあったり。
ここ数年はちゃんとしっかり感謝しています。

というわけで

この話は子供の頃からも含めてまったく別々の4人くらいから何度か聞いた話なのである程度は確かな話しなのですが、わたしはあるときにふいにある感覚になる時があって、、、うまく説明できなさすぎてアレやけど、なんとなくすごい心地が良い感じ!というのに近い感覚です。
そんな、自分にとっては心地よい感じやけど、その心地が良く感じた場所で、その方達から聞いた話では、ハンガーや壁がカタカタと鳴ったり、なにか分からないけどなんか変な音が鳴るだとか、なにかが見えたとか。いわゆるラップ現象というものなのですかね。
人によっては気持ち悪いとか。
まったく別々の人から数回同じような話を聞くと、だいたいこんな感覚がするときはそうなことが起きるのなという風に学習はしていきましたが。
それで一体何故わたしは何の体験もしてないのかというと
いつも寝ているときに起きていたからです。

何回か聞いた気がするのだけど、たしか爆睡してたと言ってたと思います。

最近気づいたことは、昔は自分はまったく怖い感じはなくてしかも心地よいものやから、おそらく夢の中で遊んでたんじゃないかと勝手な推測をしていましたが、最近見た動画では戦っている?とかなんかのときにも爆睡するとか書いている動画がありました。

それを鵜呑みにする訳ではないけれども、人間というのは五感でも視覚というのはかなり大きいらしいので、当時は今みたいな多少の知識もなかったし単純に心地がよいから良い場所だという認識をしていましたが、考えてみると、なにかを察知して自分の守護霊さんがブワワッと出てきて護られていたので、それで自分にはすごく心地が良いと感じていたと考えた方が、いろいろ聞いた話の辻褄が合うような気がします。
これは子供の頃の話でまた別の感じの守られてる話ですが、車の後部座席から出ようとしたときに、ドアの鍵を開けてドアを押しても押しても動かなくって
その時はちゃんと後ろを見ずに出ようとしてしまってたんやけど、やっと開いたーと思ったら車が猛スピードで真横を走って行って、最初のタイミングでパッと出てたらその車に轢かれてただろうということで、助けてもらった感じでした。
そんな感じの数秒ずれてたら○んでるような出来事を3回くらいは体感しているので改めて考えると感謝するのも当然だし、なにかしら還元したいと考えるようになりました。というのが最近の流れです。
この話は以前ブログに書いたような気もするのだけれど、本屋とかって稀にすごく惹かれる本っていうのが存在していて、どう説明したら良いのか分からんけど、そういうのがあります。
あれは6年くらい前のある日の時間潰しで入った紀伊國屋で、ものすごくものすごく惹かれた本があって、それがTCP/IPソケットプログラミング in C言語という本なんやけれど、もちろんその時はまったく読めなかったんだけど、それがどうしようもなく読みたくなった。何かに火をつけられたっていうか。それゆえにC言語をまた1からやり直したんですが、それが後々に役に立つとは思いもせず、こういったことは度々あるけれどいつも不思議に感じることの一つです。
大学生の頃にはプログラミングを仕事にするとかは全く考えていなかったし、今ではいろいろと数年先まで見通しは立てていますが、こういう感じの出来事は大事にした方がいいと思うし、した方がいいよと思います。
似たような例をだすと、とつぜん無性にラーメンが食べたくてしゃあない!というあの衝動は共感してもらえる人が多いと思うけれど、腸は第2の脳だとか言われてたりするように、コントロールされてたりね。それに近い感覚なのじゃないかなと感じてます。
以前に「なぜ言葉が必要なのか」という話をブログで書いたんですが、当時はこれの続きでもっと詳細に描こうと思ってたんだけども、書いてるときに「書かないで」か「書かんといて」か忘れたけど、そんな声じゃない声が頭の中に入ってきて、そんなハッキリとしたメッセージってそんなに滅多にないので、それで下書きも消して書くこと自体をやめたことがありました。
他にもなぜか公開に踏み切れない記事が何個も何個もあったのですけども、それも全部消したし今ではそれで良かったんだろうなと思うし、公開していたらいったいどうなったかなんて分からないけれど、止めておいて良かったんだろうなと思います。

総評

そんなわけで、今までをざっと振り返ってみたときに当たり前のことに感謝することが少なかったんじゃないかなと思ったのもあったりして、今後はなにかしらで貢献できたら幸いだと思ってます。

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