Category Archives: Essay

そらそうと、京都

都会というイメージがあって、それでいて空は広いものだからなんだか不思議なところ。という気がして仕方がなかった京都の街。 風景には寺院や神社が溶け込んでいてひとつになっている。都市の真ん中にどでかい公園があるニューヨークはマンハッタンのセントラルパークのように、歯車がぴったりハマっておりそれでいて良い塩梅のアンバランスさのような感覚のようなものも感じられるところもありあり、目に入ってくる刺激が心地よくて気持ちがいいね。

断捨離のシャリシャリ

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。とテレビなんかを見ているとよく見る文句である。書いておくといいらしくとりあえず書いておこうかな。要約するとこれは作り話ですよということだろう。

だんだん断捨離

3年と言うとどれくらいの時間やろうか。3年と言うと、3年と言うと、、と考えてみたけれど良い例えがなにも思い浮かばなかった。その時に何歳だった其れ彼〜な在り来たりな例えもなんだし。 まあ3年は3年よね。

Can Go Anywhere

ああ、たぶんこの人はわたしと顔を合わせたくないのだろうなあと感じることが何度かあって、それは自由というものだから別に良いのだけれど、その場には会わないようにするということに協力する人というのも同時に存在して、で、それも自由だから別に良いのだけれど

めろめろめろん

それなりにお客さんが入っていて、それなりにざわざわしているカフェなんかで、読書やラップトップでなにかをするのは、なぜだかわりと集中できるんだなぁということに不思議な感じがしていたけれど、割とみんながそんな感じらしく、今では古い言い回しだけれど「スタバでドヤる」なんていう流行語のようなものも有る。もっと以前からカフェでラップトップを開いて仕事してそうな感じの人たちなんてわりと存在していたような気がしないでもないけれどね。

メルカトル図法

かつては「飛行機とか絶対に乗りたくない」「アメリカなんて絶対に行きたくない」とかなんとか定義されていた2つの絶対というぜんぜん絶対じゃなかった絶対を持っていた。今じゃ飛行機を見るたびに「ああ、飛びたい飛びたい。飛んでどこかに行きたい。」などと考えてしまっていたり、絶対ではなかった絶対と定義された条項は跡形もなく消え去ったのでした。

さよなら、ありがと

1月から一緒に住むことになったガジュマル。品種名ガジュマル。観葉植物。突如現れた姪から「草がおる」と言われた彼だが、まあ草には違いないです。 彼との出会いも不思議なもので、観葉植物の知識などは皆無なぼくは店内をぐるりと一周してみて、なんとなくこれいいんじゃないのと感じたその時には名前すら知らない彼がそこ居た。 とは言え、まずは草花も生き物ゆえ、ぼくの家という場所で生き続けられるという条件をまずはクリアしないといけない訳です。